僕はいつまでも窓の外の景色を見続けていた。

写真と旅と時々(わりと)二次元

3月6日、人とは離れたけど、カメラとは出会えた。

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ほぼ1か月間何も書いていなかったけど、撮影依頼をもらったり、デザイン依頼をもらったり、会社は決算月&新規案件リリースでバタバタしていて忙しくもなんとか生きています。




会社においてあった社長の私物(まったく使われていない)ハッセルブラッドがひょんなことから私の家の防湿庫に居座っていたり。

今まで触ったことのないフィルムカメラ(しかも中判!)にドキドキハラハラしたり、もったいなくてシャッターと無駄に切れなくて1か月たった今でも12枚のフィルムがまだ4枚くらい残っています。

デジタルと違って絞りもシャッタースピードもすべて自分の手で調節して、
それがいまだに慣れずにシャッターを切るまでに5分とかかかったり。
まだまだ修行が必要です。早く現像だしたいなあ。

シャッターを切る時の「カシャッ」じゃなくて「バフッ」っていう音に感動し、そして枚数の決まっているフィルムでシャッターを切ることの重たさをひしひしと感じています。

やっぱりデジタルをたくさん使うことになるとおもうけど、今年の春の写真はハッセルでも残したいなと思っています。



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この年になると新しくカメラと出会いはするも、人に出会って仲良くなるということはあまりないのです。

愛用の7Dはかれこれもう2年以上の付き合いで、Kiss N→Kiss X3→EOS 7Dと3代目になるのですが、特に7Dは思い入れの深いカメラで、亡き父が生前に「お父さんが死んだらお金が少しは入るからそれでお母さんにカメラ買ってあげるようにいってあるからね」と弱っている父がいいました。

そして、その1か月後私の家に7Dと広角レンズがやってきました。

これから先、もしかしたらフルサイズに移行する日がくるのかもしれないけどきっと7Dはずっと持ち続けるだろうし、写真を撮るたびに父の事をおもいだすでしょう。


あともう一つ思い入れが強いカメラだというのには理由があり、同じ7Dを持ってずっと仲良くしてきた人が離れていきました。
どの友達に話してもモニョモニョいろいろ言われますが私には同じカメラで写真をとり、いろんなところへ行った事はとても濃い時間を過ごした思い入れの深い1年だったのですが、向こうにとってはそういうのはきっとどうでもよくて、そういう温度差が積もってこういう結果にったでしょう。

「もし、同性だったらそういうめんどくさいことも起こらずに今もずっとカメラの話をしていたのかなあ。」

何も言わずに離れていくなんてことなかったのかなあ。ずるいね。
カメラつながりのいない私にとっての貴重なカメラ仲間は、向こうからしたら仲間だったのではなくただの男女だったのでしょうか。

フェードアウトするなんて最低!むかつく!そう思った時期はもうとっくにすぎて友達期間を含めても5年以上仲良くしていたはずなのに、ちょっとしたことで去っていくなんて悲しいなあと思っています。


わたしの大好きな7Dは、別のベクトルの2つの悲しみや切ない思いが詰まったカメラでもあります。


人とかかわるというのはとても難しい。それを楽しいと思えるか思えないか。
わたしはたぶん後者だとおもいました。



(でも、カメラの友達ほしい、だれか友達になってくれませんか?)