僕はいつまでも窓の外の景色を見続けていた。

写真と旅と時々(わりと)二次元

1月17日、にんげんからさるがでてきた。

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時を超え国境線から 幾千里のがれきの町に立つ
この胸の振り子は鳴らす “今”を刻むため

大阪にいて、大きな被害を実際にうけたわけじゃないけど
20年たった今でも、1月17日のニュースは阪神淡路大震災一色になる。

関西圏だけなのかもしれないけれど、テレビでも「20年の爪痕」や「復興の20年」とかそういうたぐいのドキュメンタリーやら特番やらに溢れていて毎年この日は大変だったねという会話になる。

もちろん今年も。


20年前の今日は、

母は、飛び出して粉々になった食器の片づけをしていた。
父は、職場からのボランティア活動の一環で大きなリュックを背をって被災地にむかっていた。
(兄は、なにしてたんだろう。)

9歳のわたしは、揺れの怖さにただ泣いていた記憶。



20年後の今日は、

父はもうこの世にいなくて、私と母は別々に住み、兄には子供がうまれた。



20年で大勢の中のたった一つの平凡なわたしの家の事情でさえめまぐるしく変わっています。




ってことで甥っ子が本日誕生いたしました。



ははうえ「そういや朝にお兄ちゃんから子供の写メがとどいたけど、顔もはっきりしてて赤子特有のサルっぽさなかったわ」


わたし「ほう、どれどれ」



ははうえ「ほれ、全然やろ(写メ)」



わたし「全然wwwwサルやんwwwwwwかわええなwww」








(´-`).。oO(にんげん から さる がでてきた)





子どもに興味ないってあんだけ言っていた母上は、掌を返したように
「ああ~孫ほしいな~、娘の孫が抱きたいなあ~~~~~(チラチラ」してくるようになりましたので私は一刻も早くこの世から成仏したい所存。